他人の幸せについて
僕らのママが長いこと陥っていたのは、嫉妬、ひがみ、恨み、渦巻くドロドロな感情の世界。
僕たち兄弟は当時のママの心境を辿るよ!
人間って不思議なもので、自分と関わりのない遠い存在の人の幸せは、自分とそれほど関係ないもんだから、おめでとう!と素直に祝福できたりする。
でも近しい人の場合はちょっと違う。
表面上は祝福してるものの、内心では疎ましく思っていたりもする。
それは、その時の自分の境遇や心の状態にかなり左右される。
特に恋愛面において、恋人と上手くいってない時や好きな人に振り向いてもらえていない時、失恋で傷ついている時など、なんだかとても虚しくて寂しい時。
そんな時は、他人の幸せを見るのが辛い時もある。
それがテレビやネットの中の有名人の話なら、別に「へー、」って流せたりする。
何年も会ってないしこの先も滅多に会う事もなさそうな遠くの友人の話なら、「へー!おめでとう」
と思えたりする。
でも、しょっちゅう一緒に過ごしてきた親友的存在の友人の場合はどうだろう?
祝福はする。うん。祝福している。でも何だ?このモヤモヤした気持ちは?
友人の幸せを祝福できないような人にはなりたくない
自分はそんな意地の悪い、心の狭い、嫌なやつになりたくない。
それは本心。
でも、なんで自分はこんなに虚しいんだろう。
あの子の幸せな自慢話は聞きたくない。
会うのが億劫だな。
あの人のどこがいいの?
別に羨ましくもないけど、なんかイヤ。
そんな本音もあったり。
内面のジレンマ
そして、自分がそんな内面のジレンマを抱えているからこそ、
今度は自分が幸せな状況になった時に、近しい友人はそうではない状況で、つまり逆転が起こった際、
相手の本音が聞こえずとも感じてしまうのだ。
以前よりそっけないメールの返答、あからさまに誘われなくなったし、仲間に入れてもらえなくなった。私の投稿は見てるのに「いいね!」はくれなくなった。など。
冷たいな、避けられてる?
もしそれらの理由を相手に聞いたとしても、
「だって、彼との予定で埋まってると思ったから!彼と過ごす方を優先して欲しいし!」
おそらくそんな気遣いの言葉が返ってくるだろう。
それもそうかもしれないけど、本当は私のこと誘いたくないんだろうなって思ってしまう。
あー、私の今の状況がウザいんだろうな。
なんて、感じてしまう事は度々起こるものだ。
相手の感情が手にとるように分かってしまう
相手の感情が手にとるように分かってしまう時がある。
なぜなら、自分が逆の立場になったらそんな風に思っちゃいそうだから。
安易に想像出来てしまう。
相手は合わせ鏡のように、自分の黒い感情を写し出してくれる。
自分が嫌なヤツだから相手も嫌なヤツなんじゃないか?
僕らのママは、ある時こう気づいてしまったと言う。
どんなに良い人に思われたくて表向きに良い感じに見せても、根本的な自分の根幹が腐っていると、同じように根幹が腐っている人が周りに現れる。
「人は、その人の周りの10人くらいの平均値の人間だ」と、何かの本に書いてあった。
年収とか資産額、IQや偏差値、と言った数値で表せるものの平均値だけを言っているのではないと思われる。
もちろん、そう言った数値で測れるものの平均で考えても、だいたい自分の周りにいる10人の中で自分は平均くらいのところにいるのかもしれない。
例えば、東大生の周りの10人はおそらく、中卒の人の周りの10人より偏差値が高いだろうし、ジェフ・ベソス氏(アマゾン創業者)の周りの10人はおそらく自分の周りの10人より遥かに資産額が高いだろう。
でもそれは単に数値の平均の話ではない。
人間性だ。
人間性=思いやり、気遣い、愛情、優しさ。と考えてみる。
自分の周りにいる10人の人間性を考えてみよう。自分はその平均なのだ。
まー、概ね人間性が高そうな10人が周りにいる。ママはそう感じた。
しかし、自分がそれを「表面的に高そう」と感じているのなら、きっと自分の人間性も表面的に高いだけなのかも。
「表面的な自分」に嫌気がさしてきたら、どうしたら良いか?
表面的に人間性の高そうな自分が嫌になったら、自分の根幹である人間性を高めよう!
人生の次なる挑戦。それは、根本的に人間性を高めよう!って事。
何のために?
自分のために。自分がもっと楽に、気楽に、軽々と生きていけるようになるから。
僕ら自身も、ママに続いて挑戦中なんだ。
一緒に頑張ろう!
続きをお楽しみに!
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