2話 僕らのママも子供だった

僕らのママ日記

当たり前だけど、僕らのママも昔は僕らと同じ小さい子だった。

ママのママ、つまり僕らのグランマだけど、僕らにとっては大好きなおばぁちゃん。

だけどママはグランマの事あんまり好きじゃないみたい。なんでだろう?

育児ノイローゼ?だったグランマ。

ママのママは無痛分娩でママを産んだ。1980年代の日本ではまだ珍しい出産だ。

紹介制の産院、高額な出産費用、セレブな入院生活。ママは少しばかり裕福な家庭に生まれたんだね。

ママは私立の幼稚園、小学校、へお受験して進学して行った。習い事も色々。可愛いお洋服、美味しいお食事。贅沢な暮らし。

グランパ(ママのお父さん)はママのこととっても愛していたけれど、仕事にゴルフに派手な交流にとても忙しかった。

だから育児はほとんど妻にお任せ。それが普通って時代だったんだ。お母さんが家で子育てや家事をしてお父さんは外で仕事してお金を稼いでくるっていう役割分担。

でもね、みんながみんなその役割分担で穏やかに生活できるわけじゃないんだ。

グランマは親戚やべビーシッターさんにママ(娘)を預けて一人になる時間を持とうと奔走した。

それで気分転換をしても、ママ(娘)とずっと一緒にいるとイライラしてばかり。怒鳴ったりおもちゃを投げつけたり、叩いたり、、、これって産後クライシス?育児ノイローゼ?虐待?

令和の現代なら簡単に言える。でも当時はそういう言葉はまだ浸透してなかったし、グランマも自分はちゃんと母親をやっているという自負があったみたい。こんなの普通よ!ってね

でも義理の妹がノイローゼ気味だからと姪っ子(ママ)を預かってくれていた叔母は、ママが少し大きくなった頃に「あなたのママは育児ノイローゼだったのよ」と、告げたそう。

その事を聞いたママはどう思ったかな、、

ママは、自分のせいでお母さんが病んでいたの?、自分はお母さんに愛されてなかったの?と悲しい気持ちになったんだって。

悲しい気持ちは癒してあげなきゃね

僕はその時のママに会いに行って、そっと抱きしめ、「大丈夫だよ」「ママには僕がいる」「僕はママが大好きだよ」って言ってあげたいよ。すっごく。あぁ、タイムマシーンがあったらいいのに!

でもまだ少女だったその時のママは、悲しい気持ちを見なかったことにして、忘れたフリをして、その後の日々を生きた。

悲しい気持ちは増えるばかり、だんだんとカチコチに固まって、それは苦しい気持ちに変わり始める。

それからどうなっていくと思う?

悲しくて苦しくなった気持ちはほっといたらダメなんだ

長い間放ったらかしにしていた僕らのママのその後のお話。

お楽しみに!


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